富木謙治師範ご生誕125周年を迎えて

昭和四十四年五月、合気会の阿部正先生に伴われて、小林裕和師範が富木師範の研究室を訪問されます。当時小林師範は合気道界の大同団結を目指して活動されていました。お二人は意気投合され、早速小林師範傘下の関西の大学生に富木師範の合気道競技を紹介するため、昭和四十四年十月十日(於桃山学院大学)と、昭和四十五年三月十一日(於柔道場ニュージャパン)の二度にわたって合気道競技講習会が行われました。その甲斐あって昭和四十五年十一月十一日に行われた第一回全日本学生合気道競技大会(於東京大久保スポーツ会館)では、富木師範傘下の七大学に加えて、小林師範傘下の七大学から選抜された学生が参加し、ともに技を競うこととなりました。

昭和五十一年一月三十一日、前年より制作されていた教育映画『合気道競技』上下巻(十六ミリフィルム、TBSブリタニカ制作)が早稲田大学大隈会館小講堂にて初披露されました。上巻基本編、下巻稽古編に構成されたこのフィルムは師範が長年の研究によって構築された稽古システムを順序立ててまとめたものでした。師範からはこのフィルムを昭道館に備え付けて、関西の各大学、クラブ、社会人の会合において上映し、我々の「合気道競技」の正しい認識を広めるために活用するようにとのお言葉がありました。同年三月二十七日(昭道館道場開きの前日)には、昭道館にて関西で初めての試写会が行われました。柔道関係者はじめ各界の名士に多数ご出席を頂きました。

昭和五十一年三月二十八日、ついに新しい昭道館が道場開きとなりました。

昭和五十年七月の成山宛書簡の中には「来年からは是非「昭道館」を中央道場として東京、福岡から集めて定期的に研修会が開かれるように「昭道館」建設のことをお願いしたいと思っております。内山社長さんにも別便でお願いしました。また小林師範にも今後大いに手をつないでご協力を願うようにお願いしました。(中略)帰郷すればすぐ講道館の夏期講習が八月上旬まであります。柔道高段者会の方で小生を理解する人がふえて柔道場経営の人が合気道も併設する人が出てきました。小生の理想はいまは練習道場に困っておりますが近き将来は世界の柔道場ではどこでも「合気道競技」の部門を置くようになります。それに応じられるように早く立派な指導者を養成したいものです。」とあります。

また、昭和五十一年の道場開きの挨拶文には「明治初年、嘉納治五郎先生は、新時代の教育の立場から、古流柔術を近代化して講道館柔道を提唱しました。古流柔術の近代化とは、第一に流派を超越して「わざ」と「格闘形体」とを科学的に分類整理して、「乱取」の練習体系を編成することです。(中略)講道館柔道は「投技」と「固技」とについて、「組む」格闘形体の「乱取」練習法を編成しました。(中略)昭道館合気道は、講道館柔道の教育法に習いまして、「当身技」と「関節技」とについて、「離れ」た格闘形体の「乱取」練習法を編成しました。」とあります。師範の合気道競技と昭道館にかける思いが伝わってきます。

昭和五二年三月二一日、大阪城公園内にある大阪市立修道館に於いて第一回全国社会人合気道競技大会が昭道館創立一周年記念大会として開催されました。富木師範は全国から集まった多くの懐かしい顔触れに、嬉しそうに目を細められていました。師範にとっては横手中学の先輩にあたる鯨岡喬先生(当時九段)もお見えになり、師範のお隣で歓談されていました。先生は師範の説明を終始熱心に聞いておられ、大会最後の閉会式までご覧になっていました。

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