富木謙治師範ご生誕125周年を迎えて

ここでこの冊子『昭和天覧試合』(昭和五年発行、宮内省監修、大日本雄辯會講談社編)の中に見える富木師範の活躍を少し紹介させていただきたいと思います。富木師範は府県選士の部に宮城県代表として出場され、一次リーグを三勝〇敗で勝ち抜き、ベスト十二に残られましたが、続く二次リーグにて負傷され、医師の助言により無念の途中棄権となりました。以下に一次リーグでの試合の模様を引用します。

〇富木五段 若澤三段

富木先ず跳腰に若澤を脅かしたが、若澤よく怺えて同体に倒る。時に富木、立上りざま、再度の跳腰、若澤またも危うく堪えるところを、すかさず敵の体勢の乱れたるに付け入って出足払い、見事に極って富木の勝は鮮やか。時間四分十二秒。

〇富木五段 祓川三段

祓川大敵富木にあたる。この一戦双方共に技大いに出で鎬を削る接戦数次、帯を直して再び戦う時、祓川って攻勢に転ずる出鼻を、富木咄嗟の釣込腰は電光石火、祓川の体は富木の体上を一転して落下!まさに規定時間七分に垂んとする際どいところで富木勝つ。

〇富木五段 大木四段

組むや富木、入念に構え、同時に敵を制しつつ有利の体勢に導き十分作りをなすよと見るうち、ここぞとばかりの大業物、大外刈に強襲すれば、気合、潮合共に十分、いっぱいにかかって大木の体はずみを食って転倒し、富木ついに第四部の優勝と決した。

この大会が富木師範の現役最後の試合になりました。

富木師範と武道との出会いは少年時代にさかのぼります。幼少時より柔道の修行を積まれた師範は、横手中学(旧制中学)時代には、強豪柔道部の主将を務めるとともに、県下有数の選手として大いに活躍されました。また文武両道に優れた師範は横手中の卒業時には体育賞と学業成績優等賞の表彰を受けられました。この横手中柔道部では師範の三期上に、のちに東京高等師範学校に進まれ、講道館で活躍された鯨岡喬先生がおられました。また、師範の五期後には実弟の富木堅三郎先生が在籍されました。その後師範は早稲田大学に進学され、柔道部の有力選手として活躍されます。また、この頃講道館にて嘉納治五郎師範の謦咳に接することとなります。在学中の大正十五年、師範は早大柔道部の友人西村(旧姓久保田)秀太郎氏の紹介で合気道の植芝盛平先生に入門されました。これ以後、柔道と並行して合気道の修行をも積まれることになります。

前のページ 次のページ