富木謙治師範の教え 技と心

師範の訓命

四五年三月、大阪へ出発する前の晩、富木師範の御宅にお邪魔する事に成った。その夜は奥様の心尽くしの手料理と大好物の鰻重で、珍しくいつもは出たことがないビールを戴きながら夜の更けるのも忘れ一晩中師範の合気道競技に賭ける遠大で夢の様な構想を聞くことになった。

「成山君、君が行って関西の学生諸君が参加してくれれば、決して全国大会も夢ではないよ。良いものは必ず広まる。きっとあと何年か経てば、全国の大学が雪崩を打った様に一斉にやり出すよ。そうしたら成山君、忙しくって、忙しくって、しかたがなくなるよ。」

このような師範のお話しを聞いていると、体の奥から言い様のない無限の力が涌いて来る様な気持ちになる。「よ-し、やるぞ。」と決意を新た にしたものである。これがこの年の十一月三日の文化の日に、東京大久保スポーツ会館に於いて開催された第一回全日本学生合気道競技大会へとつながって行く ことになる。

話しも大分と佳境に入った時、師範は突然次のように言われた。「成山君、大阪へ行ったら学生に乱取法を教えるだけではなく、是非、小林裕和先生のやり方も教わりなさい。小林先生がやられる様な事は私も昔、植芝先生からみっちり教わったものだよ。」

私は師範からその言葉を聞くその時まで、関西では学生に乱取法を指導するだけで良いと全く単純に考えていた。そんな私に、師範はご自身が植 芝先生から教わった技を、今度は私に小林先生から直接学ぶようにと言われたのである。その時は何も考えず「はい、分かりました。」と答えたが、小林先生の 稽古のやり方、技も全くわからず、また師範の意図もよく飲み込めなかった私であった。この師範の訓命によって、私はささやかな成長をすることになる。結局 その晩は、師範と枕を並べる事に成ったが、いざ横に成ってからも色々とお話しは尽きなかった。私も何とか相槌を打とうとするが、何しろ腹一杯戴いた御馳走 とビールのお陰も有って、いつの間にか相槌を打ちながら寝てしまい、気が付いたら朝に成っていた。失態であり、大変申し訳ない気持ちを覚えたものである。

平常心

四七年十一月二五日、第二回日本武道祭が日本武道館に於いて行われた。これは合気道界に有っては、正に特筆すべき出来事で、合気会(植芝吉 祥丸二代道主)・養神館(塩田剛三館長)・日本合気道協会(富木謙治会長)の各団体が初めて一堂に会した歴史的な大会であった。だが常軌を逸する出来事が 起きた。富木師範のご指導 で我々協会指導員が乱取稽古をやって居る最中に、突然の場内アナウンスがあり「只今行って居る内容は××会では認めて居りません。」と何度となく繰り返す のである。

何よりも、本大会の会長の一人である方が御自分の方から我々を招いておきながら、その席で相手を否定するような放送をするのには全く理解に苦しんだ。丁度その時、見学にきていた大学の後輩達が今にも放送席になだれ込まんばかりの雰囲気になっていた。

しかし、当の富木師範は全く気に止める様子もなく、淡々と指導をお続けに成った。どうしても私の気持ちが収まらず、演武終了後に早速、師範に尋ねた。

師範のお答えは「解る人にはちゃんと解っているから、何も心配は要らないよ。」の唯一言であった。今にして思えば、あれこそ、正に平常心か 無心の心境だったのであろう。この大会以後早いもので二十年になろうとしているが、これらの団体が一堂に会したのは、後にも先にもこの時が最初で最後であ る。合気道の精神は和合にあると言うだけに誠に残念で成らない。

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