昭道館について 昭道館開設のご挨拶(富木謙治)

本日ここに昭道館合気道々場を開設するにあたりまして、一言ご挨拶を申し上げます。

わが国には、民族の遺産文化として、世界の人々に誇ることのできる多くのものがあります。なかでも、日本武道は、長い年月の間、多くの名人達人が輩出して、心血をそそいで生み出した結晶を伝えてきたものであります。

日本武道の「わざ」には、東洋の精神文化の精髄である儒教、仏教、神道など、さらに老荘の思想も浸透しております。したがって、昔から武道は、単なる「わざ」ではなくて、「みち」であるといわれてきました。

武道の種類は、まことに多く、まさに絢爛豪華という言葉によって形容されます。古流柔術だけでも、記録されているものが、百七十九流にも及びます。けれども、古い歌に次のように申しております。

わけのほる麓の道はちかへともおなし高根の月を見るかな

剣道、柔道、合気道、空手道あるいは薙刀の道、弓道などと、麓の道は違っても、同じ高根の月を見ることにかわりないのです。

そして、その高根の月を見るためには。一つ一つの「わざ」をよくふみしめて登らなければなりません。つまり「わざ」を通して「みち」に至るのが武道の修行であります。

そもそも、合気道とは、その源流は、旧会津藩に伝わった大東流合気柔術であって、とくに江戸時代以後は、御式内と称して、藩主によって特別の庇護をうけた柔術でありました。

富木謙治師範
富木謙治師範

大東流中興の祖武田惣角翁(1860~1943)は、幼にして小野派一刀流を、長じて直心影流の剣術を学び、さらに、宝蔵院流槍術をも学ん だので、柔術の技法の中に剣術の技法を吸収消化しました。もっとも、江戸時代の初期にさかのぼれば、各流が「当身技」や「関節技」の研究を大いにすすめま した。それは、戦場の鎧組討ちから平時の平服組討ち時代にうつったので、相手の斬突に備える護身武術としての柔術に変わったからです。そのために素手の柔 術の中に剣の術理をとり入れたのでした。しかし、この点で大東流合気柔術がとくにすぐれていました。

植芝盛平先生(1883~1969)は、初め天神真楊流、起倒流、柳生流などの柔術を学び、大正四年三二才のとき、大東流の武田翁に師事し て天禀の才能を発揮しました。先生はまれにみる敬神家であって、「神人合気」の悟りから、合気柔術を合気道と称して、道祖となられたのであります。

明治初年、嘉納治五郎先生(1860~1938)は、新時代の教育の立場から、古流柔術を近代化して講道館柔道を提唱しました。古流柔術の 近代化とは、第一に、流派を超越して「わざ」と「格闘形体」とを科学的に分類整理して、「乱取」の練習体系を編成することです。第二に、教育理念のうえで も、古い儒・仏・神の思想について、哲学的倫理学的考察を加えて、現代の教育の道として明らかにすることです。このことによって、はじめて、古流武術に起 こりやすい流派間の混乱を解消して、「和」の武道としての現代的意義をあらわすことができるのです。古流柔術の「わざ」を分類すれば、多くの種類と格闘形 体とに分けられますが、講道館柔道は、「投技」と「固技」とについて、「組む」格闘形体の「乱取」練習法を編成しました。そして、その他の「わざ」と「格 闘形体」については、「形」の練習によらしめました。

さて、昭道館合気道は、講道館柔道の教育法に習いまして、「当身技」と「関節技」とについて、「離れ」た挌闘形体の「乱取」練習法を編成し ました。そして、この「乱取」練習法に盛り込むことのできない「わざ」と「格闘形体」とについては、「形」の練習もだいじにする教育方針を立てたのであり ます。

これによって、柔術の歴史上重要であった半面の技術部門が、現代教育の装いをもって、大きく生かされることを確信するものであります。

「当身技」と「関節技」とは、力技的要素が少ないので、教育的合理的練習をするならば、現代の求める教育の意義、すなわち身体の柔軟性、敏 捷性、巧緻性などの養成に資し、健康の増進に大いに役立ちます。しかも、生涯体育として、老若男女が終生つづけやすい特性をもっております。
このたび、本道場を「昭道館」と命名したのでありますが、申し上ぐるまでもなく、現代の元号「昭和」に因んだのであります。

「昭和」とは、書経堯典の一句
「百性昭明、協和萬邦」

によったのでありますが、本道場は、まさに天の時、地の利、そして人の和の一致によって、大きく第一歩をふみ出すことになったのであります。

ご臨席の皆様、また、陰に陽にご支援とご指導を賜った大勢の方々に対して、厚く感謝の意を表するとともに、今後一層のご支援とご鞭撻とを心からお願い申し上げて、私のご挨拶にいたします。

昭和五十一年三月二十八日
昭道館長 富木謙治